韓ドラの名作

イサン最終回の王子は誰の子?母親はどんな人で世子のその後は?

イサン 最終回
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『イサン』をみて、韓国時代劇にハマった人も多いハズ。

2007年放送の本作は、日本のNHKでも放送された名作中の名作なんですよね。

朝鮮王朝の繁栄に貢献した国王と最愛の側室ソンヨンとのロマンスも見どころのひとつなんだとか♡

今回は、そんな『イサン』の最終回に登場した王子は誰の子?に焦点を当てていこうと思います。

さらに、王子の母親は一体どんな人なのか世子のその後についてもお届け。

ソンヨンの母親説がやっぱり有力よね!

じつは情報によると、最終回の世子の母親はソンヨンではなく、ソンヨンが亡くなりその後生まれた王子だったんです。

それでは、さっそく!王子は誰の子?母親はどんな人なのか見ていきましょ~。

※この記事にはネタバレが含まれています。

『イサン』最終回の王子は誰の子?

『イサン』最終回で、突然の世子の登場に驚いた人も多いのではないでしょうか。

この王子は、イサンの側室・綏嬪朴氏(スビンパクシ)が産んだ子供です。

ソンヨンじゃなかったんだ‥。

ソンヨン一筋のイサンですが、実際には王妃と4人の側室がいて2男2女の4人の子供をもうけています。

身分制度の厳しい朝鮮王朝では、側室にも細かい階級がありましたのでご参考までに♪

階級名称読み方
超品王妃ワンビ
正一品ピン
従一品貴人クィイン
正二品昭儀ソイ
従二品淑儀スグィ
正三品昭容ソヨン
従三品淑容スヨン
正四品昭媛ソグォン
従四品淑媛スグォン
正五品尚宮サングン

イサンの側室・綏嬪朴氏は、側室の中でもトップクラスの階級だということが分かります。

宮廷の女性はおもに側室と女官に分けられ、王妃はその女性たちの頂点にあたるんですね。

イサンの王妃様は評判が良く素晴らしい女性ですが、子供には恵まれなかったよう。

そこで、世継ぎが必要になり政略的に4人の側室が選ばれたというわけです。

つぎのコーナーで、イサンの側室について解説していきますね。

王子は4番目の側室・綏嬪朴氏の子!

第22代国王イサンの側室になった4人はコチラ↓

名前   読み方           側室になった歳       
元嬪洪氏     ウォンビンホンシ    12歳
和嬪尹氏  ファビンユンシ  16歳
宣嬪成氏   ウィビンソンシ  29歳
綏嬪朴氏   スビンパクシ  18歳

みんな名前に「嬪」が入ってるから側室の中で一番位の高い人たちなんだ!

イサンが最も愛したソンヨンは3番目の側室・宣嬪成氏で、1男1女を授かります。

しかし、男児が4歳で亡くなりソンヨンも第三子を身ごもったまま亡くなってしまうのでした。

跡継ぎを残せなかったソンヨンに代わり、次の側室となる綏嬪朴氏が1男1女を産んだというわけです。

この時生まれた男児が、第23代国王の純祖(スンジョ)として王位を継承したのでした。

つづいて、純祖についてご覧ください。

最終回の王子は第23代国王の純祖!

イサンと綏嬪朴氏との間に生まれた純祖。

純祖は父・イサンから”聖君とは何か”と問われ、食事もろくに食べずに考える毎日でした。

イサンは幼い頃の自分と重ね合わせ、祖父のように息子にも愛情深く厳しい教えを説いていたんですね。

その後、イサンが48歳で急逝したため純祖は世子になってわずか一週間で王に即位!

10歳の若さで王になった純祖は、イサンの素質を受け継ぎ最高権力者として大いに期待されていました。

しかし、即位当時は未成年だったため国政は貞純王后が代行。

朝鮮王朝では王に即位する半数以上が10代なんですって!

純祖のその後について、後半に詳しくご紹介してまいります。

『イサン』母親はどんな人で世子のその後は?

ここまで、綏嬪朴氏が純祖の母親ということが分かりました。

ここからは綏嬪朴氏と純祖について詳しく見ていくわよ♪

綏嬪朴氏はドラマには登場しませんが、気立ての優しい側室の鏡と称された人物だったそうです。

そんな母親から生まれた純祖が王に即位し、その後どうなったのか気になりますよね。

情報によると、純祖はお飾り的な王だったんだそうです‥。

イサンが偉大な王だっただけに、残念ですが‥その経緯についてお届けしていきます。

まずは、綏嬪朴氏から見ていきましょ~。

母親の綏嬪朴氏はどんな人?

名門の氏族出身の綏嬪朴氏は、6男3女の末娘として誕生。

日本の江戸時代にあたる朝鮮王朝を生きた女性で、おもな出来事を下記にまとめました。

おもな出来事
1770年朴準源と原州元氏の3女として


生まれる
1787年貞純大妃によって側室に選ばれ


イサンと結婚

1790年純祖を出産
1793年淑善翁主を出産
1800年イサンが死去し純祖が王に即位
1822年54歳で昌徳宮徽慶堂にて死去

性格は温厚で何事にも控えめ、慎重で礼儀正しく質素な人物だったそうです。

王室との関係性が良く、純祖が王になったあとも穏やかな生活を送ったと言われています。

彼女は朝鮮王朝史上、息子が王になるのを見届けることが出来た唯一の側室だったんです。

母親にとって至上の喜びにちがいないですね♡

また、イサンが利用していた迎春軒の隣に綏嬪朴氏を住まわせていた事からも彼女をそばに置いておきたい寵愛ぶりが微笑ましく思えました。

世子・純祖のその後は悲劇の王?

純祖のその後は、なんともつらい生涯となってしまいます‥。

即位後、朝鮮王朝の暗黒時代を生きることになったのです。

なんでそうなるの~!

イサンの死去後、純祖が父の意思を継ぎ政治を行っていくはずが‥そう上手くはいきませんでした。

未成年だった純祖に代わり、英祖(イサンの祖父)の正妻・貞純王后による摂政が始まります。

この貞純王后は目的のためには手段を選ばない‥まさに悪の女帝!

イサンが進めてきた改革を彼女にことごとく潰され、純祖は権力を奪われていくのでした。

さらには貞純王后の死後、今度は安東金氏により政治的権力が独占される事態に!

純祖は安東金氏を抑えるため、長男・孝明世子に摂政を任せ勢力拡大していくのですが‥。

1830年に孝明世子(22歳)が亡くなり、失敗に終わります。

悲しみに暮れた純祖は失意の中、1834年に44歳で世を去ることに‥。

純祖は常に誰かに権力を握られ、自分の思い通りの政治ができなかった生涯だったのです。

名君と呼ばれた父・イサンの後を継げず、さぞかし無念だったのではないでしょうか。

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まとめ

『イサン』最終回の王子は誰の子?また、母親はどんな人で世子のその後についてお届けしました。

最終回の王子は誰の子?については、4番目の側室・綏嬪朴氏が母親と判明。

綏嬪朴氏がどんな人だったのかと言うと、質素で堅実なお人柄だったようです。

また、世子のその後はイサンの意思を継ぐことが出来なかった悲しい生涯でした。

あんにょん♡

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