韓ドラの名作

トンイの死因は?ドラマ最終回と史実の違いも解説

トンイの死因 ドラマ
yuri-nakamura
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トンイの死因が気になる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?

彼女の死んだ理由について、深堀り調査していきたいと思います。

また、ドラマの最終回の内容と史実との違いも一緒に見て行きましょう。

この記事では、

  1. トンイの死因、死んだ理由は?
  2. ドラマ最終回と史実の違いは?

以上の疑問にお答えしています。

『トンイ』の死因は?

トンイのモデルとなった女性は、史実では淑嬪崔氏(スクピンチェシ)と伝えられています。

最下層という身分から李氏朝鮮時代の王の側室となった女性です。

「トンイ」という名前は、ドラマ上の名前なのでご注意くださいね♪

トンイが最終回で亡くなっていた理由は、病死なんだそう・・・。

ドラマの描写では少し分かりづらかったよね!

調査したところ、トンイのモデルとなった淑嬪崔氏の死んだことを記している史料も発見されています。

淑嬪崔氏が水汲みをする人として王宮に入ったことがきっかけで、王の粛宗(スクチョン)と出会ったと言われているんですよ♪

これは諸説あり!それにしても、すごい運命的だわ〜。

まずは、トンイの死因について詳しく見て行きましょう。

病気が死因だった!

トンイの死因は病気だったと言われています。

しかし、具体的な病名は分かりませんでした。

トンイのモデルである淑嬪崔氏は、1718年に48歳という若さで亡くなっています。

李氏朝鮮時代の平均寿命が48歳ですから、早すぎるということもなかったようですね。

現代から考えると、かなり若いと感じるよね〜。

当時のことなので、病名を特定するのも難しかったのでしょう。

病死する2年ほど前から体調を崩し、粛宗が薬を手配していたんだとか。

粛宗の思いやり、あたたかさを感じますね♡

粛宗は史料にも記していた!

1718年3月9日に息子の私邸にて淑嬪崔氏が永眠したということが、粛宗に関する史料に書かれていました。

規則に従い、儀式を執り行うよう命令したことなども記録してあります。

また、最高の料理を捧げることを指示したということも・・・!

愛する淑嬪崔氏のために、最高の祭需でお別れをしたんだね。

史料が少ないため憶測となることも多い時代ですが、これはしっかりと記録に残されていましたね。

淑嬪崔氏のことを愛していたとは言え、形式的な記録だけだったので少し寂しい印象も受けますが・・・。

粛宗の息子英祖(ヨンジョン)を出産しているため、王妃になれると誰もが思っていましたよね?

ドラマ最終回と史実で違いがあるのかな?

宮廷を追い出されてしまったところに何かヒントがありそうだったので、一緒に見て行きましょう。

『トンイ』ドラマ最終回と史実の違いも解説

ドラマ『トンイ』での最終回で、粛宗から引き止められるも宮廷を後にしたトンイの姿が・・・!

トンイが宮廷の外で暮らす様子が描かれていたのを覚えていますか?

その後、亡くなってしまったトンイと、息子がお墓参りするシーンなどが出てきました。

ドラマの最終回と史実には違いがあるんだって!

宮廷を出るときにちょっとした違いがあるんだそうです。

また、出た後の過ごし方や居住地も異なる様子。

そして、トンイとそのモデルになっている淑嬪崔氏の女性像の違いなんかもありました。

ドラマと史実ではどんな違いがあったのか、この後じっくり説明しますよ。

違いがわかると、ドラマの楽しさが倍になるかもしれないわ〜。

淑嬪崔氏は王宮を追い出された!

ドラマでは、トンイが粛宗に引き止められながら宮廷を出て行くという場面がありました。

しかし、実際には淑嬪崔氏が粛宗による王命によって王宮を追い出されたと言われています。

これは、淑嬪崔氏が王妃になることを拒むためだったんだとか。

張禧嬪(チャン・ヒビン)がある告発によって死罪になり、淑嬪崔氏の息子である英祖が世子に!

張禧嬪が仁顕(イニョン)王后を呪う儀式をしているという内部告発があり、罰を受け亡くなります。

誰もが溺愛されていた淑嬪崔氏が王妃になると思っていました。

しかし、仁元(イヌォン)王后が新しく王妃の座につくことに・・・。

そのため、淑嬪崔氏が王宮を追い出されてしまうでした。

それはなぜなの?愛していたんじゃないのか〜?

なぜ粛宗が手のひらを返したように冷たい態度になったのか。

それは、あの告発を淑嬪崔氏がしたのではないか、偽りだったのではないか?と気づいたためだったと言われています。

その真相は明らかになっていませんが、ドラマで描かれるトンイとは真逆の性格を持つ女性だったのかもしれません。

もしそうだったとしたら、追い出された理由にも納得だよね。でもトンイのイメージとは正反対だわ。

ドラマと史実の違いが分かると見る視点が変わって、面白いですよね。

それも韓国ドラマの楽しみ方の一つだと思っています♪

宮廷を出て相談を受けたのは史実にない!

ドラマ最終回では、トンイが宮廷を出て梨峴宮(イヒョングン)の壁を取り壊し、町の相談屋さんを始めていましたよね。

梨峴宮とは、ドラマの60話に出てくるトンイが住んでいたお屋敷を指します。

このお屋敷は、宮廷から約1キロほど離れたところにありました。

しかし、史実では困りごとを聞いていたことや、梨峴宮に住んでいたことは記録に残っていません。

ドラマのオリジナリティもあり、史実も少し混ざっているんだね♪

もちろん、梨峴宮は実在し、第16代国王の仁祖の弟の屋敷です。

側室には宮廷以外の場所に大きな屋敷がもらえることがあったので、淑嬪崔氏も例外なくということだったのでしょう。

淑嬪房とも呼ばれていたんだって。

国の財政難により、淑嬪崔氏の屋敷が大きすぎると批判されたこともありました。

実際に粛宗もその屋敷を見ては、肩を落としていたと言います。

最後に淑嬪崔氏は息子の元で一緒に暮らし始め、そこで息を引き取りました。

息子に看取られ幸せだったのかも!

粛宗がこんなにも敬遠するようになってしまったのは、とても残念な最後です。

まとめ

以上、トンイの死因(死んだ理由)とドラマ最終回と史実の違いも解説してきました。

  • トンイの死因(死んだ理由)は病死だった!
  • ドラマ最終回と史実の違いは、トンイの宮廷の出方や住んでいた場所

トンイを大切に想う粛宗と真っ直ぐな女性トンイを描く名作でしたが、史実とは違う部分があって衝撃的でした。

史実との違いが分かると、ドラマの楽しみ方も増えますね♪

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韓ドラ暦35年のフィフ姐さん
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